DIARY02
彷徨
日記
失意泰然、得意淡然、素意端然
2019年
 現・彷徨日記進行中  大人もどき 2019.04.16 ちょっとご無沙汰になりました。
恙無い日々もがらっと変わり、なんやかんやで忙しなく、色んな事に手も追いつかない毎日です。

仕事の方は、相も変わらず色々と水面下で進んでいます。
気付けば少しずつ仕事の毛色も変わってきて、今までのようなアニメーションを露出する機会も暫らく無さそうです。
半年後とか、数年後とかに緩く報告していくような様相ですので
ふと思い出してもらえた時に、気まぐれに覗いてもらえたらなと思います。

仕事以外の方、「雨雲の少年」は、すっかり進められずのまま、2019年も過ぎ去ってしまっています……。
どうにか梅雨頃には諸々再開したいなぁ……、と目論んでいるのですが……果たして。
しっかりしたい。

近況はそんなところで。
……在って無いような報告でしたが……。


話変わりまして。
こんな成りでも、日めくり歳を重ねて、僅々ではありますが段階を経て来たように感じています。
何かの節目を迎える度、“大人”と呼ばれる何かに近付いているような……、そんな漠然とした感覚がどこかにありました。
「いつか、その正体に気付くだろう――」と、蒙昧に構えていた学生時代。
しかし学生時代という大きな区切りを経ても、何年もそれはずっと不明瞭なままでした。
学生時代を終えて、結婚というこれまた大きな区切りを経ても、やはり猶。

今にして思えば至極簡単な話です。
“学生”を終えて、社会に出た時には“社会人”に、
“独身”を変えて、結婚した時は“夫婦”に、成り変っただけの事でした。

しかし気付けば今は、「“大人”になってしまった」という強い実感を覚えています。
これまた豪く単純で、身近に“子供”がいるから、相対的に“大人”と名乗らざるを得なくなっただけの事でした。
赤子を授かった直後は“親”へと相成ったのだと思いましたが
それから時間を経て、赤子か子供らしく感じられるようになるほどに
“親”でありながら“大人”にも仕立てられていくような、奇妙な感覚に襲われています。

結局のところ、“大人”とは何だったのか――。
謎は解ければ案外に呆気ないもので、只の「自立できている人」の事でしかありませんでした。
ここで僕の使う“自立”というのも、大した意味合いも無く文字通りで
「平衡感覚を保って、自分の足で立てる」とか、「自分でご飯を食べられる」とか「自分で眠りにつける」とか。
そういう事の積み重ねで、とある主観の近傍において相対的に自立できている人の事を“大人”と呼称するのだと思います。

思えば自分が大学生の頃、「食い扶持を稼ぐ」という事は出来ていなかった。
詰まりは自立が足らず、身近のより自立している人の脛を齧って生きる、相対的に子供だったんです。
“社会人”になっても、“夫婦”になっても、安定して自立している訳ではなかったから
傍らに自立できない“子供”を受け入れる事ができなかった。
年老い“大人”の要素は積み重ねていたのかも知れないけれど、“大人”足る環境には居なかった。

畢竟、立派に自立できるだけの資質を並べ立てて“大人”と名乗れるようになった……、という事ではなく
環境の中で相対的に“大人”と名乗らざるを得なくなった――、それらしく立ち振る舞う他なくなった。
“大人”は、相対の中で強制的に仕立てられるもので、何処かの過程を経て成るものではないが故
その実態には相当に触れ幅があって、どの形姿よりも不明瞭だった――
そういうオチだったんじゃないかな、と今になって思います。

だから、立派な“大人”もいれば、情けない“大人”も、“大人”に成らない人も、いるんでしょう。
そんな風に思うと、“大人”の謎が少しだけ透いたように感じられました。
そして自分が、どうしてこんなにも情けないままに“大人”なのかも、よく分かるように思います……。
嗚呼。
でも、思っていたよりもずっと「“大人”ってただの“大人”だったんだな」なんて事を、
“大人”に成れた救いと悄然とを、茫と感じています。
それはまた後日にも、つらつらと。
 地を這うように 2019.02.07 アニメページのGIFを、全てMP4に差し替えました。
以前からMP4への変更を画策していたのですが……
ポップアップ系でMP4を上手に表示する方法が分からなくて長らく放置していました。
昨年の暮れにふと思い立って彼是と調べ直したら良い仕様を見つけて、ようやっと実装することが出来ました。
何気に数年越しの実現。

GIFの使い勝手の良さは個人的には好きなのですが
容量の大きさの割に画質が悪い、というのがずっと気がかりでした。
……、同じ容量でも、GIFとMP4とで画質が4倍ぐらい違ったりするんです、MP4の優秀さ。

僕は4K画質でアニメーション作りをしているので、変な所でディテール重視の節もあり
画質を苦手とするGIFとは相性があまり良くなかったのです。
そんな訳で、差し替えたショートアニメーション群、ほぼほぼ満足できる画質に出来たので
興味ありましたら是非にフルスクリーンでチラ見して頂けると嬉しいです。
地味な拘りの地道な変遷です。


拘っている内実を事細かに書き連ねるのが、年老い何だか小っ恥ずかしくなり
気付けばすっかり避けているのですが……、折角なので少しだけ。

僕のアニメーションの画作りに関する拘りは大別すると2点あり
一つは「描き味の活きる線」、一つは「生ける空間」です。

描き味の活きる線――、
これは「バケツの中のかか」制作後に、着色としてバケツツールを使うようになってからのずっとの戦いです。
「バケツの中のかか」は、無知で阿呆だった為に、作画一枚ずつ筆ツールで着色するという狂気染みた制作でした。
しかし災い転じて、フルデジタル制作でありながら、何ともアナログ的なニュアンスが顕著に現れていたように思います。
されどやはり災い、それが僕の中の“標準”となってしまった為に
以来「バケツツールを使う」事によるデジタル過ぎる出力が、とかく気になって仕方なかったのです。
かといってアニメーションを作っていくうえで筆ツールの地道な着色もあまりに非現実的で
畢竟、双方を解決する技術とアイディアとを模索する試行錯誤の戦いが始まってしまったのです。
2010年から今もなお終わらぬ戦い。
しかしここに来てようやく、思うところに少し近づける事が出来ました。
まだまだ調整は果て無さそうですが、それでも着実にじり寄っているように思います。

生ける空間――、
僕の映像作り……、というより妄想の根幹に近いのですが、僕は空間に生きていてほしいのです。
それこそ、キャラクター以上に。
その生きている空間作りの為には、何が必要なのか――、正直、未だよく分かりません。
ただ、確実そうな要素の一つは「空気」だと思っています。
そしてそれを最も確実に表現できるのは「風」だと思い至ってから、果てしない“風”の模索です。
ただ、モソモソと独りで作っているが為に、全ての風を作画していくのは至極真っ当に無理難題でした。
……生涯で「一つ二つの完璧なアニメーションを作る」のが目標だったら、出来るやもですが。閑話休題。
そんな訳で、個人で完結可能な風を自在に表現できる術、というよく分からない暗中模索に突入しました。
幾度となく「風なんて誰も気にしていないんじゃ?」と思いつつも、その度
凄まじい“風”を表現した空間に出くわして、「やっぱ要る」を繰り返しながら
何やかんやこっちも数年、五里霧中を彷徨ってきました。
凄まじい先人らの“風”や“空間”にはまだまだ到底及ばずですがそれでも
まるで死んでいた僕の空間も、最近は少しは呼吸をしてくれるようになったように思います。

実は。
僕がショートアニメーションを作るのは大概に、その2点の改善案を思い付いた時の試作だったりします。
なので順に追ってみていくと、とっても地味な変遷を確認できる……かもしれません。

……お気付きでしょうけれど、僕が矢鱈に手古摺ってるの、我流を拗らせているだけなんです。
ちゃんと巨人の背中に乗っかっていれば、もっと色々賢く乗り越えられたんじゃないかと、青い芝生を思うのです。
そんな守破離の守も未だ怪しいばかりの身ですが
ボロボロに破り破られながら、果てない霧中を相も変わらずに彷徨っていこうと思います。
 謹賀新年 2019.01.08 新年、あけましておめでとうございます。
昨年は大した事も出来ずでしたが、今でも尚お目通しくださる方々には本当に頭上がりません、ありがとうございます。
裏方なりに出来ることで、何かしら一片の恩返しでも出来るよう今年も努めてまいります。

今年は……、今年こそは、色んな事をはっきりと割り切って取り組んで行こうと思います。
「あれもこれも」と欲張って手を出して、ボロボロと手から零れ落ちていくのに嘆くのも程々にしたい次第です。
20代に色々方針を打ち立てたいと考えていたのに、もう30歳になってしまったものですから
今年一年間を20代の最終延長戦として挑もうと画策しております。

2009年「絵を描く!」
2010年「続ける事」
2011年「邁進」
2012年「迅速と忍耐」
2013年「不屈自立」
2014年「大変を楽しむ」
2015年「貫徹」
2016年「突破口へ」
2017年「突破る」
2018年「生涵養」

――閑話
……ちょっと仰々しくなってきましたね。
しかし、頑張って生き永らえて生涯続けても精々60行ぐらいにしかならないのかと思うと
それはそれで高が知れてもいるように感じてしまうものです。
――休題

今年は20代の延長戦、という事で
2016年頃より喚き出した「新しい事」をちゃんと形にしたい、それだけでいこうと思います。
回りくどい事も、欲張って幅を出す事もなく、簡潔単刀直入に
「“雨雲の少年”を仕上げる」
を2019年の抱負に掲げる事にしました。

“雨雲の少年”、2016年頃から作り始めた少し風変わりな作品です。
実はもう、お話も音楽もキャラクターも仕組みも、大概に出来ているのです。
じゃあ何を手古摺っているかって、絵が未だに10%ぐらいしか出来ていない……、ただそれだけなんです。
つまりは僕次第なのです。

ただ、今年は一つだけ、関れただけで幸せなお仕事のお誘いもあって
それだけは採算度外視で、阿呆らしく取り組もうと思っています。
他は“雨雲の少年”に注ぎ込む――
プライベートをどれだけ切り崩してでも、これだけは努めたい、そう切実に思います。


簡単ですが、2019年最初の日記でした。
こんな日記でも長らく続けていたお陰か、気付けば文を書く事が絵を描く事に次いで楽しくなりました。
下手の横好き結構、これから先も、絵だけでなくて文も書き続けていられればなぁと思います。

それでは、相も変らぬ辺塞に足を運んでくれる奇特な方々に一つでも多くの慶びが訪れますよう
微力ながらご多幸とご健康とを祈念して、新年の挨拶に代えさせていただきます。
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