DIARY02
彷徨日記
2020
失意泰然、
得意淡然、
素意端然。
失意泰然――
 失するに動ぜぬ形で在れ。
得意淡然――
 得するに驕らぬ為で在れ。
素意端然――
 毎するに弛まぬ生で在れ。

嗚呼彷徨譚――、
 うねりなき深淵こそを道と知れ。
 現・彷徨日記進行中  心の地平面、生き様の舞台裏。 2020.02/~/07.27 /~/12.28 「心の地平面。」
――ひとつ、生き様の舞台裏。

生業としたこの仕事について、常々色々と思います。
生きるのに必要のない事、揺蕩う陽炎の如く脆い価値、それに賭ける人。

一体全体、何の意義を生み出して対価を受け、確たる価値をもつ食べ物にあり付けているというのか――

もし自らが、衣食住に纏わる生業を得ていたら、あるいはそれに紐づく仕事をしていたならば、
こんなに惨めな葛藤は唯の一瞬もなかったのではないか、と思います。
替わりの利く仕事……、そんな大事なものでもありません。
居なくなれば、替わりなど求められない仕事です。
良くいえば、唯一無二なのかもしれません。
正しくいえば、「あってもなくても、支障はない」そういう事だと思います。

勿論、生業にしている以上、同業者のそれに激情を揺さぶられ、
居ても立っても居られない、凄まじいパワーを受けた事は幾度もあります。
数え切れないほどの気力を受け取ってきたつもりです。
その価値を痛いほど知っているつもりです。
でもそれが「拙作でも成り立つのか」という自問はずっと、答えを持てないのです。

ならば惰性で続いているのかと問えば、意外にそうでもありません。
呻きながら怯みながらでも、前に行こうとして、五里霧中をずっと歩んでいます。
合切がまるで雲のようで何も掴めやしないのですが、一つ、少し分かってきている所感もあります。
訳の分からないものを幾度も懲りずに作ってみて。
人に、笑ってもらえたら嬉しい、悲しまれたら辛い……
そうできた相手が、一万人でも、一人でも、実のところ大して変わらない――、という事です。

煎ずるに。
一万人に怒られようと、一人笑ってくれたら嬉しい事もあり
一万人に褒められようと、一人に嘆かれると耐え難い事もある。
そしてその一人が、時には案外なところで、“自分”だったりもするんです。
或いは、顔も分からない“あなた”だったりするんです。

色んな邪推を思惟を張り巡らせたところで、結局、“自分”と“あなた”と、ただ楽しく在りたいだけなのです。
楽しく生きたいだけなのです。
生きるのに必要のない事、だからこそ、無邪気でありたいのです。

そんな簡単な話も、気付けばこんなにも難しい。


虚しく繊細になった思慮に馳せれば、以前に。
人は経験を培うごとに、心が図太くなるのかとばかり考えていたけれど実際は、
心はか細り脆くなるだけで、図太いふりをして自他を誤魔化さないとやっていけないだけだった――
といった事を書きました。
歳負うごとに、それは若気の至る適当な所感でもなく、思いの外に真だったのではないかと痛感します。
“大人”に扮した一介の人間は、どこまでも弱っちくて脆い、ただの人でした。
空を駆けるサンタクロースの実在しないように、
どんな困難も飄々と乗り切って雄弁に語る超人的な、あの頃の“大人”なんて存在しなかった。
狼男や雪女とは違う、あんなにも身近で生々しかった“大人”でさえも、ファンタジーでした。
でも、先人たちは幼い眼前にあって、実に達者な名演技をしてのけたのです。
皆が皆、誠に役者だったんです。

魔法使いやスーパーヒーローが在りし日の希望だったように、
身近に在ってくれたハリボテの概念も、少なからず、あの頃の憧れであり道標でした。

とある主観の近傍に於いて、相対的に自律する人となった今――
舞台裏を知った今、“大人”と割り振られた今、大根役者であっても大見得を切らねばならなくなりました。
それが、こんな惨めな僕を主役に据えて送り出してくれた、橋渡ししてくれた名役者への恩義だろうと思うのです。


そんな僕の扮する“大人”の舞う舞台を、僕の人生の主役が観ている。
それを希望とする為には、ファンタジー足り得る為には、
どれほど情けなく震えた声でも、大見得切って、楽しそうに、幸せそうに、笑ってみせるしかない。
少なくともそう演じられるぐらいの舞台だと、伝えられなければ橋渡し足り得ない。
僕は、僕の人生の主役が舞台で華麗に、満ち足りて舞う姿が見たいのだ。

――残り時間は、途轍もない。

演じ舞う時間は、膨大なのだ。
その長過ぎる時を余すことなく名演で満たす為には、楽しい事が、幸せを認識する事が、きっと要になるのだろう。
でも、僕の中でそれらは互いに相反して存在していてるように思います。
今はそれを、呆然として漠然と反芻しています。

重みを感受する幸せと、
自由を渇望する弱さと、
名演を成しきる責務と、
逸楽でありたい生業と、
似ているようで掛け違うそれらを巧みに並び替えて、まるで全てが都合よく合致するようなアイディアを探しています。


――ひとつ、生き様の舞台裏。




――という雑慮二つを夏頃に書き留めて、今になって更新しました。
……、日記とは一体。
また近日中に、今年一年の総括を……できると良いなぁ……。
 心の地平面、幸と不安について。 2020.02/~/09.17 先日、今年の2月頃に書きかけた“内向的な備忘録”を見つけました。
ものの数ヶ月前の覚書――、それだのに。
まるで別人の思考なようで、他方、胸の内を取り出したような沈思の跡形で、狐につままれたような心持ちです。
そんな数ヶ月前の見解と、生の思慮とを綯い交ぜにしながら、残骸を復元してみました。
長くなりそうなので、二回に分けて書こうと思います。
少し風変わりな、時間錯誤を潜めた日記です。


「心の地平面。」
――ひとつ、幸と不安について。


幸せについてふと、色々と思うようになりました。

幸福というのは極めて主観的な価値観だと思います。
しかし一方で、世間一般的に“幸福とみなされる環境”というものも、あるように感じています。
それに属しているから幸せだ不幸だの……、無味乾燥、荒唐無稽な与太話ですが、
そんな俗話も間々耳にするぐらいには、善し悪し兎角、多くの人に共通して認識される概念なのだろうと思います。

手前味噌でも何でもありませんが、客観的に自身の現況を並べていった時、
曲がりなりにも、その共通の認識に自らが収まっていっているような感触を覚えました。
荒誕不稽なんて言ってみましたが実のところ、異口同音に説かれ仄聞する不確かな口伝には
何だかんだ由縁もあるのだろうと思っていたりします。
ですから、自身が謂れある環境に置かれていると認識した時、態々、「今、幸せなのか」と自問に努めました。

実際の所、仄かな幸せは確かに増えました。
幸福として、受け入れるべき喜びも増えました。
でも同じぐらいに、不安も恐怖も増えています。

手の中に得られた幸福は、重さを有し、それが思いの外に重く、そして小さいのです。
ひょんな事で簡単に失ってしまうほど脆いものでありながら、失えば二度と在りえないものなのです。
宛ら、陶器の如く。
そんな幸福を大事に大事に掌に抱えるほどに、手垢はつき重みも増して、
この幸福に“代わりなどない”という現実を、ただひたすらに突き付けてくるのです。

その重さを支えられなくなって、落とすのか下ろすのか、失うその日は必ず来る――。
分かっているからこそ、恐ろしいほどに愛おしく虚しいのです。
口伝の環境が齎した幸福は、そういう静かなものでした。


そんな静かな幸せを噛みしめるようになってからの事。
久方に、公園で独り、ご飯を食べる機会に見えました。
数年前は毎日の事、あの頃の感覚を思い出すように、茫と居所を探しました。
座り込んだベンチを中心に広がる、その雑多な環境の中に溶け込むように、
その空間のあらゆる概念と原子を共有するように、腰を深く据えてご飯を頂きました。

するとどうでしょう。
重みのない環境で、昔懐かしい憧憬と強い幸福感を覚えました。
――嗚呼そうだ、僕はこれが好きだった。

空間の中に自我の澱さえ溶けていく……、そこにあるのは自由への渇望です。
それなりの幸福とされる環境を得てもなお、死が一番の自由だと、今も変わらず思います。
こびり付いた希死念慮は、恐らくもう、消える事も無い。

ただ、手にある幸福の重さを知ってから、いくらか認識も変わりました。

こんな自分でも、あの重さを抱えている事、また誰かの重さであろう事――
その事実に目を向けた時、気付けば“死”は容認し難いものになっていました。

そうして、よくある言葉に辿り着きました。
「死に場所を探している」
一生懸命に死なないよう、抱えたものを落とさぬよう必死に生きながら
誰からも「仕方ない」と言ってもらえるような死に場所を探す人生に、様変わりしました。
ずっと、死ぬ時に死ねるだろう、という受動的な中に在ってそれが希望だったのですが、もう縋れないようです。
こういう、“生”への執着の乏しさを記す時、どうにも逆張りしているように自分でも感じます。
しかし、夢と自覚のない夢の中での話ですが。
命の危機に晒された記憶が幾度かあり、その全てで、僕は死に抗えませんでした。
死に直面すると大して足掻きもせずに「あぁ嫌だなぁ、でもしょうがない、苦しまずに死にたい」とだけ願って
致命傷を受け意識の遠退く様をはっきりと覚えて――、毎度グロッキーな目覚めを迎えています。
落下死、焼死、溺死、他殺……、何れの場合も泥臭く足搔きもせず、意識の途切れる寸前を迎えてしまいました。
だから多分、現実で同じことが起きたら同じように対応してしまうんだろうと思います。
死の危機に直面したら、きっと迷わず、目を閉じる。
“生きたい”と強く渇望する事が、本当に難しい……、心が弱過ぎるんだと思います。

なんて書いていた最中に、また夢の中で死にかけました。
そして柄にもなく、こんな日記を書いていたからか、生きようと足掻きました!
訪れる死の内容は短絡的な他殺です。
顔と名前ぐらいしか分からない著名人から、何故か、銃を突きつけれている夢でした。
その時、幾つかの事柄がぱっと脳裏をめぐり、雑ざり弾け、鮮明になった一言、――(まだ納品してないじゃん)。
今の仕事を納品しないと迷惑だと察し、事態解決に身体が乗り出しました。
咄嗟に突き付けられた銃口を掴み、考え、
「……、あなたを殺人鬼にしたくない」と言い訳しました。
……なんと気持ち悪い言葉選び。
しかし割と大真面目に、(僕なんぞ殺して殺人鬼とか、勿体なさ過ぎるだろう)と思っていました。
著名人も困惑し、僕が力で勝っていたので状況を制した所で、――(……これ夢では?)、と思って目覚めました。
……、仕事に責任感じている内は、頑張るかも知れません。
みんな案外、そんなもんだろうと思います。

そうして死に場所を求め彷徨う合間にも、手の中の重さは着々と増していき同時、握力は淡々と衰えていく。
それらをがらんどうな経験則を用いて計れば、あと幾ら耐え続けられるかも漠然と感じられてきました。

残り時間は、途轍もない。

自由を渇望し続ける弱さにとって、この試算はあまりに冷淡で現実的でした。
一体、この残り時間をどう消費しろというのだろう。
考えるほどに絶望的ですが、やる事は既知の繰り返しと懸命な練磨だけです。
その道中に、隠れたつもりの丸見えの苦痛が、苦痛が、苦痛が……、嫌というほどよく見えます。
でも、それさえも気付けばただの繰り返しでしかない事も、もうよく分かりました。


挑んで、痛んで、忍んで、忘れて、勇んで、傷んで、偲んで、忘れる。
傷は治るが痕は残る。
増える傷痕が忘れた記憶を誇張して脅かす。
着々と臆病になって、少しずつ諦観ばかりになっていく。
どうせ忘れる――、と雑になっていく。

諦念の齎したしじまを裂いて、
“容易くなかった”と傷痕が喚く。
乾いた痣が、新たな恐怖になっていく。
曖昧になった致命傷の痕が、不安を募る。
疾うに忘れた筈の、溶け落ちた時間も矛盾した長さを帯びる。
そうして、困難な記憶だけが増えていく。

死は許されず、生き難い。

死に場所を求める躯でも、息ある限り、息苦しさは終わらない。
この息でさえもいずれ、仄聞した口伝ように、掛け替えのない重みになるのだろうか。
その自問には蓄積で得られた予見から、真だろうと自答できる。
そしてそれが、今の重みに比べて取るに足らない程度であろう事も。


結局、抱え込んだ重みだけが渇望を抑える理性足りえています。
もう、それ以上のものはない、終わったんです。

生きるのは辛い、誠に辛い。
死を羨ましく思うほど、心から辛い。
でも、その辛さを耐えたいと願えるほどのものがまだある。

たぶん、それが僕にとっての幸せです。
その幸せを、態々自覚することが、僕にとっては大事なんです。
淡々と握力を落とすだけの躯にならない為に。
着々と増す重みを、少しでも長く支える為に。
溢れかえる不安に、溺れない為に。


――ひとつ、幸と不安について。
 気付けば半ばを往くばかり 2020.07.20 ……、いつも通りテンポ悪しく更新です(半年以上開きました。)。
日次を恒常的に記す事に、何故ここまで苦戦するのだろう……、悲しき哉。

さてしもこの半年、畳み掛けるように色々としていました。
半分ぐらいは茫と腑抜けていたような気もしますが、それはさて置き。
ざくざくとそれら雑感を書き連ねたいと思います。

閑話――
数年前は、定期的に思考迷路のような文章を書き連ねていましたが、それもすっかりご無沙汰になってしまいました。
書きたいなぁと常々思い、相も変わらず沈吟に飢えているので、今は昔の奇怪文も次辺りには。
――休題


2020年、年明け早々に世に出ました
神聖かまってちゃん「るるちゃんの自殺配信」MusicVideo」(YouTubeへのリンク)。
こちらのアニメーションは、これまでの拙作と一線を画する構造で作りました。
一つは異なる制作体制の導入、一つは3Dの導入、この二つの変改です。
その変改の続きを、この半年間取り組んできました。


◆異なる制作体制について。
るるちゃんは、あまり映像制作では一般的ではない、「村造り」と表現した体制で挑みました。
個人的にその結果には至極満足したのですが、定石ではない体制にできる“映像表現”は極めて限定的で、
求める表現によっては必ずしも最適解ではありません。
それは元より承知していたので、様々な映像表現に堪えられるよう
「村造りの委託」と、「ピラミッド体制のアレンジ」とを試みました。

「村造りの委託」については、るるちゃん方式を第三者にお願いして構築できるのか、という試みです。
たかやん「どうせ無くなるだけ」MusicVideo(YouTubeへのリンク)
上記動画は、村造りの“現場監督”を第三者に委託する、という体制で取り組んだ案件でした。
村造りに必要になる最低限の想定だけ、僕と現場監督とで共有して、
あとは現場監督が区画整備をして、それぞれの建築家に家を建ててもらって、現場監督が整えて――
という形を取りました。
何もかも滞りなく円滑に、という訳ではありませんでしたが大きな事故もなく、ちゃんと村も出来上がりました。
スタッフの優秀さは言わずもがなですが、……、意外に勝手良いのかもしれないこの制作体制。
またの機会に、別の形、別の手もある状態で是非取り組んでいけたらなと願うばかりです。

「ピラミッド体制のアレンジ」については、これまで苦手としていた制作方法の克服を模索したものです。
多人数によるアニメーション制作は基本的に、司令塔たる監督が存在し――、例えば。

監督の「A、B、C、Dを作れ!」という号令のもと、人海戦術でAからDまで制作していきます。
しかし沢山の人が各々の方法で作るもの、認識齟齬が当たり前、監督はそれぞれの工程を虱潰しにチェックし、
時に目敏く、時に執拗に不備を突いたり、正したりしなければなりません。
そうしてどうにかこうにか仕上がった、△、b、G、Dを組み合わせて、アニメーションは何とか完成します。

……、「ABCDを作って」と号令かけて、ABCDが上がってくる事なんて奇跡ですからね。
号令だけでABCDを揃えられるのが、名監督なんだと思います。
僕はこの、号令をかける行為も、チェックをするのも、不備を突くのも苦手です。
――子細は、以前の記事の「ピラミッド体制から逃げている」辺りで書いた通りです。
しかしこの体制こそ映像制作の定石――、定石たる理由は、汎用性、質、安定性の全てが高水準だからこそ。
ならば逃げていても仕方なし、という事で四つのアレンジに取り組んでみました。

一つは、「A、B、C、Dを作りたい! A、B、c、Dまで作ったから!」というやり方です。
ヨルシカ - 思想犯(OFFICIAL VIDEO)(YouTubeへのリンク)
結果として上記動画が仕上がりました、凡そ、想定した映像になりました。

一つは、「A、B、C、Dを作りたい! A、b、Dまで作ったから!」というやり方です。
こちらは完成済みですが、まだ世に出ていないので映像を紹介できず……、
ただ、こちらもイメージから大きくブレる事はありませんでした。

一つは、「A、B、C、Dを作りたい! A、Dは作ります!」というやり方です。
こちらはまだ制作中なのですが……、そもそもAに大苦戦していて、体制どうこうの話に至っておらず……。
……そういう事もあるってもんです。

一つは、「A、Dは作りました! 間にB、Cを入れる想定ですが、bでもGでも良いです!」というやり方です。
「Oneroom feat. RiuDomura / Pedestrian」MusicVideo(YouTubeへのリンク)
結果として上記動画が仕上がりました、想定よりも良い仕上がりでした。
しかし半分「村造り」を混ぜたような体制なので、これをピラミッド体制と呼んでよいのか……。

……、結局、ピラミッド体制で自分を納得させようとすると
完成系の雛形を作る、というところまで個人で持っていくしかなくて
ピラミッド体制最大の強みである、“個人では不可能な物量を作る”仕組みと真逆をいってしまいました。
理由は重々承知しているのですが
「不備を突いてやり直しをさせる」
これができない、本当に全くできない……。
僕の中に「不備が出るのは、号令が下手だから」という意識が根強いのもあるのですが、
もう単純に、他人に嫌われる勇気が微塵もない、これに尽きます。

……、本当に、全てがどうしてこうなった。

そんな訳で、「ピラミッド体制のアレンジ」の模索は迷走しています。
ただ恐らく、全くの五里霧中にいるわけではなく解決方法は見え透いていて、
b、dを小規模体制で作ることが出来れば、則ち“完成形の雛形作り”を個人から少人数体制に移行できれば、
僕はAを練り込むだけで仕上げられる、ピラミッド体制が構築できるのだろうという見込みはあります。
だからあとは――、“勇気”の程度の問題。
……こんな漫画みたいな問題に悩むなんて、人生ほんと分からんもんです。


◆3Dの導入について。
こちらは、いわゆる“背景美術”とよばれる箇所に3DCGを導入しました。
理由はいくつかあるのですが、端的にまとめると
人手を確保できない、下手の横好きな自分の背景美術よりも3Dの方が求める画に対して優秀――、
という、身も蓋もない切実な問題からの帰着でした。

他にも、「背景美術に3Dを導入する」これ一つで、
現場、技術、業務などに潜む多々ある課題を解決ないしは補助できる――、
という予感も覚えていました。
実際に、その予感は極めて的確なものでした。
もちろん、単純な恩恵だけではなく、
3Dを導入したことによる別の課題もたくさん生じたので、目下それらを一つずつ解決中です。

この3Dの導入の帰趨は、正直見えていません。
もっと空間を利用した楽しみ方を模索するのか、どこかでその使用範囲の線引きをするのか……。
いずれにせよ、今はこの劇薬の刺激を楽しみつつ、自らの手に収まる適量をもう少し探ってみたいと思います。
今まで出来そうで出来なかった事がいくつも解禁されたようで、結構ワクワクしています。


異なる制作体制、3Dの導入――、
この半年間はそんな調子でした。

気付けば、全く堂々とした暗雲立ち込める2020年。
残す半年を何れの方角に向いて歩くのか……、歩を少し抑えながら慎重に見定めたいところです。
されど今年は進境地、緩もうとも止まらず惑わず、何も変われぬ有り様で進んでいきたいと思います。
 ここから。 2020.01.19 ……、珍しくテンポよく更新です(十日以上開いてますが。)。
先日後回しにした、2019年の振り返りと今年の抱負とについて。

さてまずに、振り返りです。

2009年「絵を描く!」
2010年「続ける事」
2011年「邁進」
2012年「迅速と忍耐」
2013年「不屈自立」
2014年「大変を楽しむ」
2015年「貫徹」
2016年「突破口へ」
2017年「突破る」
2018年「生涵養」
2019年「“雨雲の少年”を仕上げる」

昨年の抱負を達成したかどうか、こんなにも分かりすかった例もないですね。
未達です。
でも、ちょっと言い訳もしたいのです。
2019年の抱負を記した際に――
ただ、今年は一つだけ、関れただけで幸せなお仕事のお誘いもあって
それだけは採算度外視で、阿呆らしく取り組もうと思っています。
――なんて書いている訳です。
……えぇ、それに感けておりました。
お陰様かどうか分かりませんが、未だに関われています。
というか、まだ終わらないのです、いつまでやるんだ……。
兎角、それに付随する彼是の案件を請けていたら、2019年終わってしまった、そんな一年でした。


さてさて、そんな残念な一年を経て……、
「2019年は二十代の延長戦!」と喚いていた気がするので、三十代である事実を誤魔化せない今年。
一つはっきりさせておきたい、「“雨雲の少年”ってどうするの」という事については、続けます。
一応、2019年も進行はしていました、殆ど出来ませんでしたが……。
もう4年は経っているのですが、僕の中で色褪せずにいる世界です、付き合い続けます。
今年完成するのか、と言われると、2019年があったので明言し辛いのですが、出来得る限りは尽くします。

というのも。
2019年、請け負える仕事としてはこれ以上ない案件と付き合い
或いは自由度の高い創作性に満ちた案件を請け負って、時にはチームを熟成するための案件も請けてみて――
結果、夢が死んでいっているのがよく分かりました。
三十代で夢って……、書いてて字面にきつさを覚えますが、でも多分この息苦しさは夢なんです。
いつかみた理想の世界で覚えた心地よい風の感覚が、
目まぐるしく展開していく実際の空気に匂いに、凄まじい倦厭を示してしまう。
生きていくうえで出会った合切の事と手を繋いで、共に在る安心感に身を委ねて
息苦しさを耐え忍びながら歩んでいく道中、少しずつ、夢見た境地が遠退き霞んでいく。
されど今の道を逸れずに歩めばきっと
色んなものが守れる、色んな事を予見できる、色んな自由さえ得られるように思うのです。
損得勘定に長けた大人らしく天秤を揺らせば、なんの思惟に耽らなくとも、選ぶべきは自ずと分かる。
所詮はその程度の息苦しさで、そんな苦痛も諸因の夢さえも
敷かれた安心感の前では遠からず消えてしまう事ぐらい、手に取るように分かる。

……でも、そうやって選べるのなら、もっと最初から上手に賢く生きています。
選べなかったから、選べないから、未だにこんなにも阿呆な獣道を嘆き進んでいるんです。
今さら通俗的な価値観に憧れて、或いはそれを保守しようとしてみたり、一体なんの猿真似だろう。
示された可能性に、気持ちが一寸、揺らいでしまっていました。

とはいえ、何やかんや気付けば歳も多少なり重ねてしまい。
全てをかなぐり捨てて新しい世界で生きていく事を決するほど、愚直にもなれますまい。
それぐらいには、自分の事が分かるようになりました。
だから、これまで歩んできて行き着いた此処から、今まで辿り着けなかった理想の居る方角へ進みたい。
今年は、

進境地

へと歩みを進める事を抱負にして、続けてみようと思います。
勇みつつ日和りつつ。
 2020 2020.01.08 新年、明けましておめでとう御座います。
昨年は半年以上、サイトの更新を放置する惨憺たる状態で、気付けばそのまま2019年も終わってしまいました。
とても残念な有り様でしたが、今なお訪れてくれる人がいるならば、本当にありがたい限りです。
今年もどうなるやらですが、気長にお付き合い下されば幸いです。
生きている内は、きっと踠いていますので。

さて、毎年恒例の振り返りと抱負についてですが、そちらについては次回に回して、
今回は空白の半年分の日記をまとめてダダダっと書いて参りたいと思います。
ちょっとまとめ切れないかも、緩々と流し見して頂ければと思います。

……あと、彷徨日記の題目を何とも鼻で笑われそうな鬱陶しい表記にしてみました。
うーん、これは恥ずかしくなりそうだ。
なんか、雰囲気を変えてみたかったんです、取り分け企図も無く。


空白の半年間、私事は結構に簡素なもので、
先ず一、大分の別府から再び引っ越して、京都に戻ってきました。
こちらは当初の予定通り、一年間の育児帰省ということで既定路線です。
別府での一年間は形容し難く穏やかで雄大で、こぢんまりとした時間でした。
これまで何回か引っ越しを繰り返してきましたが、一番堪えた引っ越しになりました。

京都に戻って既にニヶ月近く経っており、こちらの生活にもすっかり馴染んできました。
作業環境が今までで一番良く、独房のような環境で日々ペンを走らせています。

家族は何だかんだ、みんな健やかです。
子供も着々育っていて、背中を見られるような圧を少しずつ感じています。
こうして止む無し、綻びだらけの為人であっても、大人を装っていくのだろうと思います。
大人はサンタクロースと大同小異、守るべき夢や理想や希望、或いは安心として、扮するものだったようです。


空白の半年間の仕事について。
なんか、有り難いほどに色々させて頂いていました。
“裏方が増える”なんて話をいつぞや書いたような気もしますが、
要は絵コンテ作業(映像の設計図)が山盛り増えました。
それに関してはもう、僕は業界から酷く外れた場所にいるので未熟弱輩の極みで、毎日勉強の状態です。
おまけ、やはり設計図を作れば後は他の人の作業になってしまうので
まだ未完だったり未公開だったり、実績公開不可だったりと色々で、水面下での一年となっておりました。

そういった案件の中で二つ、ちょっと変わった試みが出来たのでそちらについて少しだけ。

一つは、「少女☆寸劇 オールスタァライト」(公式サイトへのリンク)。
何やら複雑な事情で、色々色々ありまして、色々色々ありつつも、僕の所で制作を請けもつことになった映像作品です。
本案件は事前に出てきていた情報から、少し特殊な映像形態を取るしかありませんでした。
そこで、予てより傲慢の極みで考えていた
「“Live2D擬き”なら、AEで出来るんじゃない?」という発想を実行してしまったものです。
実際に、そういった強力かつ便利ツールを使用することは勿論考えられましたが
導入コストや学習期間を考えると本案件では全く現実的でなく、かつAEなら参加スタッフにも使える人が多く。
そんな訳で、AE上で超簡易な“Live2D擬き”を構築してスタッフ全員に展開し、制作しました。
……これが、一話だけとか、尺十分一本だけ、とかならゴリ押しで乗り切れるのですが
二十四話分、則ち七十二分も作っていった訳で……、それはもう大変でした。
所詮は擬き、綻びは全て手直しするしかなく、高慢ちきな鼻っ面を見事にへし折られながら作っていました。
でも、本案件きっかけで「レヴュースタァライト」という作品を知ることが出来て
制作着手前にスタッフ全員で全話視聴したのですが、見事にみんなハマり、
オールスタァライトの制作現場はみんな、キャラ愛をもって楽しく取り組めていました。
……ちなみ、僕は花柳香子推しです。
「花咲か唄」がとっても好み、……がっつり担当した話数がバレるのでこの辺で。

もう一つは、「神聖かまってちゃん「るるちゃんの自殺配信」MusicVideo」(YouTubeへのリンク)。
こちらは縁が繋がって請けた案件です。
楽曲、題材の扱いが大変に難しく、どう扱うべきか心底悩みました。
その中で、楽曲依存の形で幾つかの基本方針を構成していったのち、
その基本方針を出力するために、かなりの特殊な制作体制を検討していきました。
詰まり、凄まじい数のカット数が先ずに達成目標として現れ
それを実現する為にキャラクターデザインの不統一、明瞭なキャラクターデザイン、3D背景による画面構成……
といった流れで大方の制作体制を構想しました。
勿論、やった事もない体制でしたが……
誠に有り難いことに、バンド、クライアントの方々からご理解を得て、狂気のカット数制作に舵を切りました。
結果的に。
制作終盤は本当に大変でしたが、出力結果も、制作スタッフも、クライアントも、全てが納得する形で納まりました。
特に、参加してくれたスタッフ面々が「本案件は本当に楽しかった」と返してくれたのがとても嬉しかった。

これは、アニメ制作に対する別案のようにもなっているのですが……
アニメ制作は、語弊を恐れずにいうなれば通常はピラミッド建造にも似ているように思います。
監督がいて、設計図があり、大量の人々がそれを組み立てる為に監督の手足のように働く――
僕は、この“上に立つ”という行為が、全くと言っていいほど性分に合わず……。
僕自身が、その手足になるのが大変に苦手で、また矢面に立たされる根性もなく、弱いからだろうと思います。
ですからそのピラミッドの在り方から逃げ回るように居たのですが、他に術も思いつかずでした。
ところが本案件で取り組んだ進め方が、見事に僕の性分にハマりました。
ピラミッド建造とは全く異質なイメージで、僕はこれを“村造り”だと後になって思いました。

実は本作、アニメスタッフが制作している個所の設計図は無いんです。
各スタッフに「狂気の画を下さい、絵柄も内容もお任せします」でお願いしています。
すればスタッフも縛り無し、時間を経る毎に創意がどんどん増していきました。
すると僕も納品されてくるのを見るのが楽しくて仕方がなくて、
ピラミッド建造方式の時の、些細な設定齟齬や仕上がりの質に対する神経質な感覚は一切ありませんでした。

詮ずる所、僕は都市計画として道路をひいて区画整備をして、
都市景観の為の条例だけは公布して、あとは「区画内で好きに家を建てて下さい」、という風にしたんです。
そしてその村が、ピラミッドとは違う形で観光地に成り得るだろう、という試みでした。
「最高に上手くいけば、白川郷でも作れる筈さ」という楽観主義で挑んだのですが
結果を見てみれば、ピラミッドとは全く違う仕上がりになって
案外これはこれで面白い形になったんじゃないかと思います。

そんな訳で、何年もずっと逃げ回ってきたピラミッド建造に対する一つの別手法に気付けたような気でいます。
こういう“村造り”案件も、少しで良いから増やせていけたら、村造りに人を誘えたら良いなと思う次第です。
でも、個人的にどはまりした作品はみな、ピラミッドなんだよなぁという矛盾を思いつつ……。


兎角。
しばらくはピラミッドの設計図担当案件が溜まっていますので、
また篭もって習練しつつ設計図を描いてきます。
きっと、ピラミッドにもみんなが楽しい作り方があるはず……、模索しつつ。


何だかすごく長くなってしまいましたが、2020年一発目でした。
僕はここぐらいしか碌に露出できない雑木っ端なので、もう少し更新出来たらなぁ……と思う次第です。
それでは。
化石の如き辺境に未だご足労くださる奇特な方々に、一つでも多くの慶びが訪れますよう
ご多幸とご健康とを祈念して、新年の挨拶に代えさせていただきます。
 彷徨日記20192019.01.08-04.16  彷徨日記20182018.01.03-12.31  彷徨日記20172017.01.21-12.29  彷徨日記20162016.02.02-10.28  彷徨日記20152015.01.05-10.16  彷徨日記20142014.08.08-12.31  旧・彷徨日記2012.12.28-2014.08.08